
イギリスを代表するレジェンド「バリーシーン」と「マイクヘイルウッド」。80年代終盤から90年代前半にかけて最も人気のあったアメリカ人ライダー「ケビンシュワンツ」。Motoriomdaでは、記録と共に記憶に残る彼らのコレクションズアイテムをご用意。今なお熱狂的なファンをもち、我々を魅了したライダーたちのアイテムが現代のテクノロジーで甦りました。
イギリスが生んだ元WGPチャンプ「バリー・シーン」。ゼッケン「7」はヘルメットのドナルドダックロゴ同様にバリーのトレードマークと言えます。常勝アゴスチアーニを抑え77,78年のGP500クラスで2連覇。75年(デイトナ)と82年(シルバーストーン)にアクシデントで重傷。その度に不死鳥のごとく復活し人々を驚かせました。イギリスの最も有名なライダーと称されるバリー・シーン。 自由奔放な人柄でサーキットの外でも常に話題の中心にいました。
耐久性のあるコーディラナイロンジャケット。フロントにはスポンサードしていたメーカーロゴが彩り,袖口や裾はリブニットを採用し高いフィット感を実現。
コットン100%の肌触りが良いロングスリーブ。袖丈が長いのでライディング時のインナーとして最適。
最高級のイタリアンレザーだけを厳選して採用、マセラティやフェラーリオーナーのラゲッジスペースにふさわしい特注品から始まり、モータースポーツの史実にもとづくチームカラーとカーナンバーを伝統的なトスカーナの職人がボストンバックに仕立てました。
イギリスで根強い人気を誇る「マイク・ザ・バイク」と呼ばれた「マイク・ヘイルウッド」。MVアグスタでキャリアをスタートさせドゥカティ、ホンダへと移籍。
マン島で活躍、さらに250cc世界GPで3度の優勝しシリーズチャンピオンを獲得。翌年にはアグスタに乗り500cc世界GP制覇。その後活動の場を4輪に移し、F2マシンで優勝、F1にも出場しましたがクラッシュによりドライバーとしてのキャリアを終えました。その後、マン島TTにエントリー。長いブランクをものともせずみごと優勝を果たしたのです。
商品説明:耐久性のあるコーディラナイロンジャケット。フロントにはスポンサードしていたメーカーロゴが彩り,袖口や裾はリブニットを採用し高いフィット感を実現。
1980年代終盤から90年前半にかけて圧倒的な人気を誇ったアメリカ人ライダー「ケビン・シュワンツ」。彼のライディングスタイルは今日でも語り草です。
トップかもしくは転倒か、長い手足を自在に操り豪快なライディングで多くのファンを魅了しました。ヤマハとホンダが凌ぎを削っていた当時、性能で劣るスズキのマシンで好敵手に挑む彼の姿勢に誰しもが応援しました。
レーシングカーのカラーリングは、我々見るもの達を楽しませてくれます。特に60年代〜80年代をヒストリックに駆け抜けたマシーンと、それに華を添えた色鮮やかなスポンサーロゴ&カラーは、往年のマシーンとドライバーたちの息吹まで感じさせる魅力があります。カジュアルな日常の使い方の中でも、ヒストリックなレースシーンを強く呼び覚まします。
「GOLD LEAF TEAM LOTUS/ゴールドリーフ・チームロータス 」はそれまでの車体のナショナルカラーを捨て、ゴールドリーフ(タバコ)の赤、金のパッケージに変更。スポンサー制度の誕生によりF1は広告塔となり、 ロータスはモータースポーツの発展に大きな貢献をしました。
イギリスのレーシングカーメーカー「March/マーチ」はコンストラクターとして多くのシャシーを製造、またチームを設立しレースシーンにも参入しました。
70年にF1に参戦、71年のエントリー名がTシャツロゴの「STP March」でした。
1972年、それまでスポンサーであった「GOLD LEAF/ゴールドリーフ」からロータスは「JPS/ジョン・プレイヤー・スペシャル」へとボディカラーを変えました。ロータス史上、最も代表的なカラーである漆黒のボディにゴールドラインは未だ根強い人気を誇ります。
名門レーシングチーム「BRABHAM/ブラバム」。1966年、ブラバムはSOHC・2500CCレプコエンジンを採用し、ジャック・ブラバムは自身の設立したチームでチャンピオンとなりました。
かつてF1に参戦していた「BRM/ビーアールエム」。60年代にはロータスからグラハム・ヒルが移籍、62年にドライバーズチャンピオンとコンストラク ターズチャンピオンを獲得しました。また66年のレギュレーション変更では3000ccのH16エンジンを開発。独創的なこのエンジンは失敗に終わりまし たが、多くの人の記憶に残りました。
「Tyrrell/ティレル」。当時のレースシーンをご覧の方には「タイレル」と読むほうが馴染み深いかもしれません。98年にF1を撤退しましたが、ドライバーに中嶋悟を起用する等、日本でも人気の高いチームでした。
実業家として知られるウォルター・ウルフはモータースポーツに参入し、チームは1977年から1979年までの短い期間にF1に参戦しました。リトルベ アー(小熊)の愛称で知られるジョディ・シェクターをドライバーとして起用し、デビュー戦のアルゼンチンGPで優勝する快挙をあげました。ウルフカラーは 当時から現在まで高い人気を誇っています。
70年代にF1に参戦していたレーシングチーム「Hesketh/ヘスケス」。イギリス人ドライバーのジェームス・ハントを起用し序盤こそ好成績を残すものの徐々に失速。ノーポイントのシーズンや参戦回数が減少し、78年にF1から撤退しました。
1950年代、当時はFRが一般的でしたが「Cooper/クーパー」はMRを採用。これをきっかけにフォーミュラカーはMRの時代へ。後にブラバムを設立する、ジャック・ブラバムはクーパーでF1にデビューしました。
「parmalat/パーマラット」はイタリア国内の食品会社で、1978年から「BRABHAM/ブラバム」をスポンサード。オーストリア人ドライバー 「ニキ・ラウダ」が操る「BT46」、当時議論を巻き起こした「BT46B」などににスポンサーロゴとして車体にデザインされ、パーマラットは一躍有名になりました。
80年代後半にF1ブームで日本中が歓喜、「LEYTON HOUSE/レイトンハウス」はその中心にいたでしょう。レイトンハウスはイギリスのレーシングチーム「MARCH/マーチ」のメインスポンサーとなり 89年に買収、その後はレイトンハウスネームで活動しました。
「SHADOW RACING/シャドウ・レーシング」は1973年からF1に参戦したチームです。 チーム創設者の「Don Nichols/ドン・ニコルス」よりマシンにはすべて「DN」のイニシャルがにつけられ、滑らかなフロントノーズや漆黒のボディーカラーが個性的なマシンでした。
「Toleman/トールマン」はかつてF1に参加していたイギリスのマシン製造者(コンストラクター)、レーシングチーム(1981-1985)です。 1984年からアイルトン・セナでトルーマンよりデビュー。ロータス移籍前に所属したチームがトルーマンです。
「Matra Simca/マトラ・シムカ」はフランスの自動車メーカー・マトラ社のブランド。 同社が開発・販売したマトラ・シムカ・バゲーラ (Matra Simca Bagheera)はスポーツカー(1973-80)としてあまりにも有名です。
ル・マンやGTレースクラスなど様々なレースシーンで人々の注目を集める「ASTON MARTIN RACING/アストンマーティンレーシング」。 カラーはホワイトをベースに「GULF/ガルフ」を象徴するブルーとオレンジライン。背中には大きくガルフロゴがデザインされています。
今でも思い返されるあのレースシーン。我々モーターファンにとっては、誰しも記憶に残る熱狂と感動した情景があります。
そんなシーンを1枚の写真に収め、さらに本人の直筆サインの入ったプレミアムアイテムが登場しました。
豪華大判フレームに収納されたこれらのアイテムは、インテリアアートとしてお楽しみ下さい。80年代から最近のレースシーンまで網羅された多くのラインナップは、全て本物である証明書付の永久保存版のメモリアルコレクション。
1980年代から遡るGPレーサー達は、自分自身の安全性とチームをバックアップするスポンサーロゴを纏い、戦いの場で凌ぎを削りました。Motorimodaでは、イギリスよりそんなGPレザージャケットの輸入販売を開始。懐かしのジャケットデザインを多数取り揃えておりまう。プロテクション性能やクオリティのみならず、ヒストリー身に着け楽しむことができるでしょう。
WGP時代にはヤマハとスズキ、全日本RRや鈴鹿8耐ではスズキやホンダとコンビを組んだラッキーストライク。このブラック&レッドをベースに、ホワイトの割合が変わり、それぞれのイメージを作り上げていました。
タバコブランド「CAMEL/キャメル」は、二輪四輪ともに、モータースポーツと深く関わってきました。モトGPでは、2003〜2005年まで、ホンダとコラボレーションしました。このイエローカラーは印象的でした。
スズキとともに、世界中のレースシーンをともに歩んできたヨシムラ。GSX-Rを介し、そのふたつのブランドのロゴを配したレザージャケット。
「K」のマークは、1970〜1980年代のカワサキのトレードマーク。とくにAMAスーパーバイクで活躍したUSカワサキのマシンやライダーは、いまでも高い人気を誇っています。
USインターカラーとして知られる、イエロー&ブラックのストロボカラーを採用。ヤマハモーターUSAが誕生するまで、米国でのヤマハ車の販売拠点となっていた「ヤマハインターナショナルコーポレーション」がその名の由来。