嗚呼、零戦(福岡・大刀洗にて)

Sep 10,2011

こんにちは、バイヤーの岡林です。

前回の長崎散策に続きまして、今回は福岡は筑前町にある「大刀洗平和記念館」を訪問しました。

大刀洗平和記念館

ここ福岡県大刀洗は、大正8年から昭和20年まで西日本における旧日本陸軍の航空拠点でした。学生時代から近代史に興味があり、博物館にはジャンルを問わず足を運ぶようにしています。

建物は新しくとても立派でした(昨年10月開館したばかり)。入場料は大人500円です。
この日は大分から福岡への移動があり、その道中に短い時間でしたが、立ち寄ることができました。

大刀洗平和記念館

なんと言ってもここの見どころは、現存する唯一の零戦(零式艦上戦闘機)32型
太平洋戦争初期には、「世界一優秀な戦闘機」として賞賛され、改良を重ねながらも終戦末期まで使用されました。製造は三菱重工業です。最大航続距離(3350キロ!)と旋回能力は特に秀逸でした。
零戦は旧日本海軍が保有した戦闘機でして、陸軍の戦闘機に零戦はありません。
当時、陸軍と海軍がそれぞれ航空部隊を保有していました。
ちなみに、零戦の「ゼロ」は、正式採用された年が皇紀2600年(昭和15年)だったことにちなんだものです。

零戦(零式艦上戦闘機)32型

7気筒の「栄」エンジン。迫力ありました。どんな排気音がするんでしょうか。これで最大出力940馬力、最高速度533キロを叩き出します。
当時のアメリカやイギリスの戦闘機に比べて最高速度はそれほど速くもありませんでした。しかし、そのハンデを徹底的な軽量化でカバーし、連合国軍とまさに死闘を演じます。

皮肉にも、軍需産業とモータリゼーションの発達は密接に絡み合っているんです。例えば、自動車メーカーの前身が、航空機製造メーカーというのは、世界のあちこちで散見できます。

「栄」エンジン

零戦コックピットの計器類です。当時、一人の戦闘機パイロットを育成するのに1000時間も掛かったといいます。軍隊の中でも選ばれしエリートだけが、パイロットとして養成されました。

零式艦上戦闘機 主計器盤(複製品)

そしてもう一つがこれ。
世界で唯一現存する九七式戦闘機です。これは零戦の登場以前に活躍した機種になります。こちらは陸軍の戦闘機です。他にも代表的な陸軍戦闘機には「隼」などがあります。この九七式は昭和12年の採用以降、通算3386機生産されましたが、現存するのは世界でここの1機だけです。平成8年までずっと博多湾に沈んでいたのを引き上げて修復しました。製造は中島飛行機(後の富士重工業と日産自動車の前身となります)。

九七式戦闘機

他にも、大刀洗飛行場の歴史や戦時中の映像などが多数展示、上映されています。ライブラリーもあり、太平洋戦争に関連する資料が自由に閲覧できます。時間さえあれば、じっくり見たかったです…。

大刀洗平和記念館 ライブラリー

忘れてはならないのは、無念にも戦死した英霊の方々です。
戦争末期には、若い搭乗員が特攻隊として戦地に駆り出され、その多くが太平洋の戦場で散華しました。館内には、隊員の遺書や遺品も多数展示され、胸にこみ上げてくるものを感じました。

我々が平和に暮らし、日本が戦争の無い国であるよう強く誓い続けることで、散華した人々の魂が報われるのではないでしょうか。

大刀洗平和記念館 御英霊遺影

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