戦艦『大和』を偲ぶ~広島・呉~

Dec 05,2012

こんにちは、バイヤーの岡林です。

かねてから巡ってみたい場所がありました。

それは広島・呉市。とりわけ大和ミュージアムには特別な思いがありまして、今回初めて訪問することになりました。

大和ミュージアム 呉市海事歴史資料館

古くから呉市は造船業が盛んな町でして、明治時代初期からすでに広島から呉までの電車も開通していました。特に第一次世界大戦から太平洋戦争に突入するまで、その隆盛は最高潮に達し、呉市は世界に名だたる軍事基地となりました。太平洋戦争時は多くの軍艦を生み出し、その代表的な戦艦が『大和』になります。

大人一枚500円の入場料を支払ってエントランスを入ると、いきなり大和が出迎えてくれました。

戦艦「大和」10分の1スケール

10分の1のスケールとは言いながら、その迫力たるや凄まじい。本物は全長263m、最大出力15万馬力。

戦艦「大和」10分の1スケール

当時世界最大46センチの主砲を備えた大和は、連合艦隊旗艦として帝国海軍のシンボルでしたが、いみじくも、太平洋戦争からの近代戦法は大鑑巨砲主義から空母を主力とした戦闘機での戦いに移行した最中のことでした。

大和の砲弾もありました。左手前が大和の弾です。2mくらいの長さがあります。なんとこの砲弾は40キロ先の敵艦まで飛びます。

戦艦「大和」砲弾
琵琶湖に不時着し、1978年に引き上げられた零戦

館内では、零戦も見ることができました。これは琵琶湖に不時着し、1978年に引き上げられたものです。戦艦大和と零戦。今は亡き、戦時下の象徴を見学することができます。

戦艦大和の最後は、戦局が劣勢になった戦争末期に海上特攻として沖縄戦に出陣し、米軍350機以上の艦載機による集中砲火を浴びて沈没します。乗員3,332名のうち3,056名が不沈艦と言われた大和と運命を共にしました。そして大和の終焉は、帝国海軍の壊滅となったのであります。

広島の自動車産業と言えば、マツダです。特に最近は各自動車媒体でも高い評価を受けています。『日本カー・オブザイヤー2012-2013』では、マツダのCX-5が受賞しましたね。館内ではマツダの3輪車が展示されていました。正式名は「マツダ号GB型3輪トラック」といいます。空冷701ccで15.2馬力を発します。

知らなかったのですが、終戦後マッカーサー率いるGHQが国内の自動車メーカーに対して、自動車製造禁止令と出していたのです!これにより、国内メーカーは3輪トラックの生産を進め、多くの三輪トラックが町に溢れました。

マツダ号GB型3輪トラック
潜水艦「あきしお」

万感の思いで大和ミュージアムを出た後、正面に見える巨大な物体に度肝を抜きました。それは、海上自衛隊呉資料館。

上の写真にあるのは潜水艦「あきしお」です。2004年まで実際に使用していた本物。全長76m、重さは2,000t。

海上自衛隊呉史料館

入場料は無料でして、自衛隊の方が館内の説明をわかりやすく説明してくれました。海上自衛隊の潜水艦は、国内の海上護衛はさることながら、国外の戦地だった海域で機雷撤去の活動もしております。

この「あきしお」は内部も一般公開しており、閉館時間ギリギリだったにも関わらず、快く入れて頂きました。見た目は大きいですが、艦内はたいへん狭い空間が続いていました。

潜水艦「あきしお」操舵室

操舵室での一枚。潜水艦のコックピットは初めて見ました。運転席が2つあり、左右と上下の操舵は別々の乗員が行うようです。おびただしい数のスイッチや計器と配線にびっくり。15分くらいしか乗艦しませんでしたが、閉所恐怖症ではない私でもその圧迫感に閉口します。

これに乗って数週間も航海するのは強靭な精神が必要です。海上自衛隊の皆様、お疲れ様です。

美しい夕陽

潜水艦を出ると、そこには大きく、美しい夕陽を臨むことができました。海に生きる方々、そして散華した方々を偲びながら呉を後にしました。

近日に広島を巡る旅、続編を書く予定です。

おしまい。

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